江利チエミの姉 吉田よし子の現在
高倉健さんが亡くなり、元奥さんだった江利チエミさんにも注目が集まっています。
江利チエミ
本名久保智惠美
生年月日1937年1月11日
没年月日1982年2月13日(満45歳没)
血液型A型
配偶者高倉健(1959年 - 1971年)
死因は脳卒中と、吐瀉物が気管に詰まっての窒息(誤嚥)によるもの。
若くして亡くなったのも悲劇ですが、高倉健さんとの結婚生活もまた悲劇が連続しておきていました。
その主犯ともいうべき人物が江利さんの異父姉の吉田よし子です。
この人物が江利さんの財産を使い込んだり多額の負債を作ったりして二人の離婚原因となったことはこちらに詳しいです。
今回はこの異父姉について少し書きます。
この吉田よし子、正確な生年月日はわかりませんが、おそらく昭和2年前後の生まれです。
ということは生きていれば現在90歳手前くらいになります。
江利チエミさんのお母さんは谷崎歳子といい、「東京少女歌劇」というレビュー団体のスターでした。
今のAKBみたいなものでしょうか。
この劇団の座長と結ばれます。このときに生まれたのが「よし子」です。
この後、谷崎歳子さんはこの座長と別れ久保益雄さんと結婚します。そして江利チエミさんが生まれるわけです。
「よし子」はこのときに養女に出されています。
戦争が始まり、よし子は疎開先の炊事婦などをしています。
終戦後、仕立て屋の吉田氏と結婚。
そして運命の昭和28年。
吉田よし子は大スターの江利チエミの母親が「谷崎歳子」であることを知ります。
当初、よし子はチエミさんにファンの一人として近づきます。
チエミさんがよし子を異父姉と知るのはそれから2〜3年してからでした。
それから10年ほどは何事もなかったのですが、
昭和40年。
その頃、よし子の夫は病弱で仕事もままならず、子供を3人抱えたよし子はかなり苦しい生活をしていました。
そして夫と別れて子供をつれて状況してきます。
このときに江利チエミさんをたよってきたのです。住み込みの家政婦として働くことになります。
当時チエミさんと結婚していた高倉健さんはこのことを快諾しています。
わざわざ庭に彼女たちのために離れを作ったほどです。
当時、江利チエミ、高倉健という大スター夫婦の家に住み込みで働くことになったよし子は自分の境遇と妹の境遇の違いに何を感じたのでしょう。
チエミさんは住み込みの家政婦の給与として月3万円を支払っています。
現在の価値だと30万円ほどになるでしょうか。
しかも家賃光熱費はただです。破格の待遇といえるでしょう。
しかし
この頃からよし子は妹への復讐を企てるのです。
昭和44年。
よし子はチエミさんに無断で投資を始めます。最終的に1億8千万。
さらに昭和46年8月。
チエミさん名義で1700万円の借金を作り、その利息を払うためにさらに借金を重ね
その業者にチエミさんの実家の土地建物の登記簿を渡してしまいます。
そして9月3日にチエミさんと高倉健さんとの離婚発表。
このあとよし子は失踪。自殺未遂。
しかし、それでも週刊誌などでチエミさんを誹謗する発言を繰り返します。
ひたすら妹に対する異常なほどの誹謗中傷を繰り返す姉はもはや正常ではなかったのでしょう。
昭和49年3月11日、東京地方裁判所206号法廷。
有価証券偽造、同行使、有印私文書偽造、同行使。
執行猶予なしの懲役3年の判決が下ります。
服役し出所した彼女のその後は触れられることはありません。
が、彼女が服役中に夫である吉田氏は上京し3人の子供とともによし子を迎える準備をしていました。
おそらくその後は家族5人で暮らしたのでしょう。もしかしたらまだ存命なのかもしれません。
罪を償い平和に暮らしているのでしょうか。
しかし、江利チエミさんはその後も一人ですべての負債を返す生活を続け、返済が終わり、これから、というときに亡くなってしまったのです。
これは何なのでしょう。
よし子には服役しても待っている家族がいた。
なんというか、人間の業というものを考えさせられる悲劇です。