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江利チエミの死因

 

 

江利チエミ(1937年1月11日 - 1982年2月13日)

 

本名は久保 智恵美(くぼ ちえみ)

 

1952年に「テネシーワルツ」でデビュー。

 

 

 

江利チエミのご両親はお二人とも吉本興業に所属していらっしゃいました。

 

 

お父さんの久保益雄はピアノや三味線の奏者。

 

お母さんの谷崎歳子は東京少女歌劇出身の名喜劇女優でした。

 

 

こうしてみると後に歌手としてだけではなく、「サザエさん」の主役として女優としても名をはせたのはご両親にルーツがあるのが分かります。

 

 

 

 

 

 

高倉健との結婚

 

 

 

1959年(昭和34年)にゲスト出演した東映映画での共演が縁で高倉健と結婚します。

 

そして一時期家庭に入り引退状態となりますが、1960年に復帰。

 

1962年に妊娠しますが、妊娠高血圧症候群を発症。結局お二人の間には子供は生まれませんでした。

 

 

大スター同士の夫婦でしたが幸せには恵まれていませんでした。

 

 

ここで二人を切り裂くことになる一人の人物が登場します。

 

 

異父姉、吉田よし子

 

 

江利チエミの実母である谷崎歳子は東京少女歌劇時代にそこの座長と結婚して一人の娘がいました。

 

この二人が別れるときにこの娘は養子に出されます。

 

 

この人が江利チエミの異父姉、吉田よし子として大きく人生に関わってくることになります。

 

 

 

よし子は「離婚して経済的に困窮している」として江利チエミ夫妻に近づきます。信用を得た彼女はやがて実印を預かり経理を任されるまでになります。

 

 

そしてここからが自分と妹とのあまりの環境の違いを妬んで暮らしてきたよし子の復讐が始まります。

 

 

よし子は高倉健、江利チエミ双方の誹謗中傷をでっち上げ二人を別居に追い込みます。

 

同時に銀行預金を使い込み、多額の借金を作り不動産を抵当に入れます。

 

この復讐劇はやがて発覚しますが、それでも彼女は容疑を否認。さらにマスコミでチエミへの誹謗中傷、家庭内の話を暴露などなど、エスカレートしていきます。

 

そして失踪、自殺未遂騒動を起こしますが、これもすべて妹への復讐のために計画されたことでした。

 

 

これらのことがあってチエミは1971年に高倉に迷惑をかけないために離婚。彼女は一人で莫大な借金を返します。

 

 

 

 

 

 

江利チエミは華やかな大スターでありながらも、歌手デビュー直前に実母が死去。

 

3人の兄もチエミの存命中に2人が亡くなります。

 

高倉健との間に授かった子供も重度の妊娠高血圧症候群から中絶。

 

かわいがっていた甥の電車事故。

 

そして父は違っても血を分けた姉による理不尽な復讐とその挙句の離婚。

 

 

 

家庭や家族には決して恵まれたとはいえず、寂しい人生を送りました。

 

 

 

1968年にはポリープによる声帯の手術。

 

 

 

1970年1月21日には当時世田谷区瀬田(旧・玉川瀬田町)にあった邸宅を火災で焼失。

 

1972年には日本航空351便ハイジャック事件に乗客として遭遇。

 

 

 

 

江利チエミという人には不思議なほど不幸がついて回っているように見えます。

 

 

 

 

 

死去

 

1982年(昭和57年)2月13日に江利チエミは港区高輪の自宅マンション寝室のベッド上でうつ伏せの状態で吐いて倒れているのをマネージャーに発見されます。

 

この時点ですでに亡くなっていました。

 

死因は脳卒中と、吐瀉物が気管に詰まっての窒息(誤嚥)によるもの。

 

 

最後まで孤独で寂しい亡くなり方でした亡くなり方でした.

 

 

 

 

ただ、最後の日。チエミの棺が運び出された2月16日は不思議なことに、かつて高倉健との結婚したまさにその結婚式の記念日でした。

 

 

高倉健はその日、葬儀に姿を現さなかったのですが、本名の「小田剛一」名義でで供花を贈り、会場の前で車を停めて手を合わせていた、と言います。

 

 

 


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